蔡瑁・・・才能有り、家柄も良い演義の悪役 [三国志]
字は徳珪(『襄陽記』)。劉表の妻である蔡氏は姉。
襄陽郡の人。荊州の有力豪族の一人で、伯母(蔡諷の長姉)は後漢の太尉であった
張温の妻である(王先謙の『後漢書集解』)。長姉は黄承彦に、次姉が劉表の後妻として
それぞれ嫁いだ(『襄陽記』)。蔡瑁は、姪が劉琮に嫁いだため、次姉と共にその勢力を
増大させ、劉表の側近として重用された(『後漢書』)。
実際に、劉表が荊州に地盤を築く事ができたのは蔡瑁の功績だといわれる。
『蜀書』「先主伝」の注に引く『魏晋世語』では、蒯越と共に劉備の命を狙ったという記述が
あるが、東晋の孫盛も批判するように真偽の程は不明である。
劉表の死後、蔡瑁は劉琮を後継者にするために親族(甥?)である張允と共謀し、劉琮の
異母兄である劉琦とその支持者である劉備を追い出し、劉琮の後継を実現させた。しかし、
その直後に曹操の大軍が攻めてきたため、劉琮は戦わずして降伏した。蔡瑁は曹操に仕えて、
従事中郎・司馬を経て、長水校尉を歴任した。やがて漢陽亭侯に封ぜられるなど高位高官を
手にした(『襄陽記』)。これらの背景として、蔡瑁と曹操が旧知の間柄であったからだと
言われている(『襄陽記』)。
正史では彼が非業の最期を遂げたという記述は無い。演義は、劉備に反目する彼の存在を
許せなかったのだろう。蔡瑁を恐れた周瑜の離間策に嵌った蒋幹の報告で、周瑜に内通
しているという有らぬ疑いをかけられ、曹操によって張允と共に処刑されてしまう。
荊州という土地では、ある意味主の劉表以上に力の有る人物。劉備や諸葛亮がまともに
敵対しても果たして彼を排斥して荊州を奪えたか怪しいと思う。
襄陽郡の人。荊州の有力豪族の一人で、伯母(蔡諷の長姉)は後漢の太尉であった
張温の妻である(王先謙の『後漢書集解』)。長姉は黄承彦に、次姉が劉表の後妻として
それぞれ嫁いだ(『襄陽記』)。蔡瑁は、姪が劉琮に嫁いだため、次姉と共にその勢力を
増大させ、劉表の側近として重用された(『後漢書』)。
実際に、劉表が荊州に地盤を築く事ができたのは蔡瑁の功績だといわれる。
『蜀書』「先主伝」の注に引く『魏晋世語』では、蒯越と共に劉備の命を狙ったという記述が
あるが、東晋の孫盛も批判するように真偽の程は不明である。
劉表の死後、蔡瑁は劉琮を後継者にするために親族(甥?)である張允と共謀し、劉琮の
異母兄である劉琦とその支持者である劉備を追い出し、劉琮の後継を実現させた。しかし、
その直後に曹操の大軍が攻めてきたため、劉琮は戦わずして降伏した。蔡瑁は曹操に仕えて、
従事中郎・司馬を経て、長水校尉を歴任した。やがて漢陽亭侯に封ぜられるなど高位高官を
手にした(『襄陽記』)。これらの背景として、蔡瑁と曹操が旧知の間柄であったからだと
言われている(『襄陽記』)。
正史では彼が非業の最期を遂げたという記述は無い。演義は、劉備に反目する彼の存在を
許せなかったのだろう。蔡瑁を恐れた周瑜の離間策に嵌った蒋幹の報告で、周瑜に内通
しているという有らぬ疑いをかけられ、曹操によって張允と共に処刑されてしまう。
荊州という土地では、ある意味主の劉表以上に力の有る人物。劉備や諸葛亮がまともに
敵対しても果たして彼を排斥して荊州を奪えたか怪しいと思う。
コメント 0