王平・・・漢字十文字しか書けない名将 [三国志]
自分の名前を含めて10文字しか書けなかったと、正史「王平伝」にある。
王・平・子・均以外の六文字が気になるところだ(笑)。
冗談はさておき、王平は「泣いて馬謖を斬る」の馬謖が孔明の命令に背いた作戦を取ったとき、馬謖に反対し、
馬謖を説得出来なかったものの、彼の指揮のお陰で被害を最小限に抑えることが出来た。
彼の三国志演義での扱いは良く、趙雲亡き後の「ミニ趙雲」的扱いで、魏延でさえ尻込みした難しい役目を自ら
志願して諸葛亮を喜ばせたり、寡黙で忠実な名将として描かれている。
王平は演義で見る限り非の打ち所の無い名将であるが、正史では疑い深く、軽はずみな所があったとある。
「孔明派」的な良将として演義はこの部分に触れたくなかったのであろう。
王平は読み書きは出来なかったが部下に書物を読んでもらい、それに対する自分なりの批評をしたりしたそうだが、
的を射た意見であったそうである。学問を修めなかっただけで決して馬鹿ではない。
王・平・子・均以外の六文字が気になるところだ(笑)。
冗談はさておき、王平は「泣いて馬謖を斬る」の馬謖が孔明の命令に背いた作戦を取ったとき、馬謖に反対し、
馬謖を説得出来なかったものの、彼の指揮のお陰で被害を最小限に抑えることが出来た。
彼の三国志演義での扱いは良く、趙雲亡き後の「ミニ趙雲」的扱いで、魏延でさえ尻込みした難しい役目を自ら
志願して諸葛亮を喜ばせたり、寡黙で忠実な名将として描かれている。
王平は演義で見る限り非の打ち所の無い名将であるが、正史では疑い深く、軽はずみな所があったとある。
「孔明派」的な良将として演義はこの部分に触れたくなかったのであろう。
王平は読み書きは出来なかったが部下に書物を読んでもらい、それに対する自分なりの批評をしたりしたそうだが、
的を射た意見であったそうである。学問を修めなかっただけで決して馬鹿ではない。
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