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呉は住み心地の悪い国だった? [三国志]

私が三国志の中で余り好きでない国呉(笑)。
孫権の器が小さく、残忍な性格が受け付けない。
その孫権は治めた呉の民の暮らしはどうだったのだろうか?
1.甘寧が荊州と益州を攻めて領土を拡大すべきと主張したとき、
内政の第一人者である張昭は「領土がよく治まっていないので、軍隊が外に出ると
内乱が起きるかもしれない」と危惧している。
2.後年蜀の使者が蜀の道義的な素晴らしさを述べたときに、呉の臣下は誰もそれに対して
呉の道義的な素晴らしさを述べることが出来なかった。
3.孫権死後、生前課していた物品税や賦役で民衆が苦しんでいたものを廃止した。
4.連年のように軍隊を動かし民は苦しんでいた。さすがに孫権は民を思い一年軍を動かすまいと
思ったが、諸葛亮の北伐で魏の軍隊が西に割かれ領土を奪う絶好の機会と思い、
軍隊を動かした。
孫権は部下を信任して全てを委ねる度量の広さを持つ一面もあったが、利益に左右されやすく、
外に向かう印象が薄いのと裏腹に軍事行動をみだりに起こして、その為に必要以上に重税を
課し、民の生活を苦しめていたようだ。
とてもではないが呉が住みやすい国だったとは思えない。
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