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諸葛亮はいつ天下三分の計を考えたのだろう? [三国志]

諸葛亮の代名詞とも言える「天下三分の計」彼はいつこの戦略を考えたのだろう?

早くとも官渡の戦い後の曹操が華北を制した後。
そして、孫権が江東を掌握した後であると断定できる。

そして・・・。

劉備が劉表の賓客になった後。曹操が北上している頃、ちょうど本拠を留守にしている頃
くらいではないかと私は思う。

天下の趨勢が決しつつあるものの、曹操の天下になるのは反対だ。
誰かを擁立して天下統一を防ぐには・・・。

三顧の礼により、劉備に招かれた諸葛亮だが、天下三分の計を構想する段階で
”身近な英雄”劉備を主と仰ぐことを含めて着想したのではないか。

そう考えて出た結論。諸葛亮は、劉備の一度目か二度目の訪問を受けた段階で、
天下三分の計を考え出した。
少し無理気味な推測だろうか?
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