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張飛と厳顔 [三国志]

劉備軍入蜀の際、張飛が厳顔を破り、それでも厳顔は卑屈な態度を取らず降伏せず、張飛も
それを立派だと認め賓客として扱った逸話は、三国志演義の中でも印象的である。

張飛に降伏した後、その処置に感動した厳顔は、自ら他の守将に降伏勧告を行なっている。
自分でさえ降伏したのだから、おまえも降伏しろと。

正史では厳顔の活躍に関する記述は、劉備配下になった後も前も詳しくない。せいぜい、
主の劉璋が劉備を招き入れると聞いた段階で劉備の野心を見抜き嘆いたとあるくらいだ。

この逸話。張飛が偉いのだろうか。厳顔が偉いのか。双方を持ち上げることによって、
団体としての劉備軍を持ち上げたかったというのが本当のところだろうか。

厳顔は物語ではこの後も黄忠とコンビで漢中攻略で活躍して、いつの間にか消えてしまう。
そして、その人物の伝は無くいつ死んだかもわからない。楊戯の季漢輔臣讃にも出てこない。

だが、物語として三国志演義は、劉璋に忠節を貫いて死んだ張任ばかりでは、劉備が悪者
扱いになるので、その人物と同等の忠臣であり名将としての厳顔を描きたかったのだろう
と思う。

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