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関羽の敗死は誰のせいか? [三国志]

三国志演義が重苦しく感じられるのは関羽の死あたりからだ。
物語のはじめは桃園の誓い。その3人の中の一人関羽が死ぬことはとてつもなく悲しい。
そして彼の死を皮切りに張飛、劉備も死んでいく。
関羽の死は誰のせいだろうか?
関羽本人のせいである面は否めない。本来同盟相手である孫権との不和が生じた原因を作ったのは
彼だから。
一方で関羽の主君である劉備の責任も見逃せない。いくら益州、そして漢中まで領土を広げたばかりとは
いえ、荊州への人材配置が甘くはなかったか。おまけに当時孫権勢力とは荊州領土をめぐって緊張関係が
続いていたのに警戒が甘すぎた感がある。
最後に孫権の存在を挙げておきたい。彼は曹操の勢力への抵抗をあきらめ降伏している。
これは三国鼎立という形勢において戦略バランスを更に曹操陣営に有利なものにした行為となっている。

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