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劉禅の無知の知 [三国志]

一般に劉禅というと「愚か者」の代名詞のようだが実際のところどうだろう?
彼の悪いイメージは少なからず三国志演義の創作による部分も影響している。
讒言を信じて優勢の蜀軍を呼び戻してしまった逸話などは史実には無い。
さらに言えば蜀滅亡後洛陽に身柄を移されて宴会に招待されて「蜀が懐かしいだろう?」と聞かれ
「ここが楽しいので蜀は懐かしくない」と答えたことが槍玉にあげられがちだが、
「蜀が懐かしいです」と答えていたら、彼に謀叛の可能性有りと用心される危険が有ったことを
考えると劉禅の反応は間違えではない。
父劉備から「劉禅が器でなければ簒奪してよい」風のことを言われて劉禅が諸葛亮を排斥しようと
したりせず、諸葛亮の補佐が終生まで続いたことを考えても劉禅は馬鹿ではないと思う。
この辺は劉禅の無知の知で「祭祀は私が政は諸葛亮に」という棲み分けを実践させたのではないかと
言ってしまうと暴論だろうか。
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