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お子様ランチ、原点は三越 不況時に考案 「子どもに夢を」 [今日の日経記事から]

ハンバーグやチキンライスなど、子どもに人気なメニューが1枚の皿に載った「お子様ランチ」。子どもの頃、家族と出かけたデパートで食べた思い出がある人も多いはずだ。現在は多くの飲食店で楽しめ、「特別感」は薄れているが、100年近く前の不況期に誕生した夢を感じさせるメニューだった。

絵皿に映える料理

1904年(明治37年)に日本で最初のデパートとなった三越を訪ねた。日本橋本店(東京・中央)でレストランバイヤーを務める明内仁志さんは「(世界恐慌で)暗い世の中でも、せめて子どもには明るい夢をという思いから、三越日本橋本店で始まった」と説明する。


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日本が不況に苦しむ30年(昭和5年)に、同店の食堂部主任だった安藤太郎さんが考案した「御子様洋食」が原点だという。安藤さんは新メニュー開発にあたり、「仕入れた子ども用の絵皿に映える料理を作ろうとした」(明内さん)。

当初のメニューは富士山にみたてたご飯のほか、スパゲティ、コロッケ、ハム、サンドイッチやデザートのボンボン。子どもが好む人気メニューを1つのプレートに盛り付けた。

見た目も、子どもたちが喜ぶ工夫が満載だった。象徴的な「富士山ご飯」は、赤いケチャップライスの上に白いご飯を雪のようにかぶせていた。多くの人がイメージするご飯に立った「旗」も、一説には山好きだった安藤さんが登頂した際に立てる旗に見立てて付け加えたといわれている。

当時の価格は30銭。現在の金額に換算すると1600円程度になる。ややぜいたくではあるが、いろいろな料理が少しずつ味わえると、年配の客からも注文があったという。

今も三越日本橋本店の本館7階の特別食堂では、大人も食べられる「お子さまランチプレート」や土日限定で子ども向けの「お子さま洋食」を提供している。

子ども連れ向けのメニューは人気で、東京の他のデパートなど多くの店が出すようになっていった。なじみ深い「お子様ランチ」の名称は「松坂屋上野店が最初で、31年に登場した」と同店広報担当の田中なおこさんは話す。当時の文献を見ると、日本橋にあったデパートの白木屋でも「御子様ランチ」というメニューが確認できる。

子連れ客を呼び込もうと各店は工夫を凝らした。松坂屋上野店は32年、キャラメル「グリコ」のおまけをヒントに、おまけ付きのお子様ランチを発売した。60年代にテレビで人気の「ウルトラマン」や「怪獣」をおまけに採用したところ、「1日に1300食も売れる日があった」(田中さん)。

演出面でも常に改良が加えられた。新幹線が開業し話題になった際には新幹線形のプレート、中国からパンダがやって来て大人気となった際はパンダ形のプレートが登場した。社会情勢も反映しながら子どもたちの支持を集めた。

「お子様ランチは日本独自の文化といえる」と指摘するのは、近代の食文化に詳しい梅花女子大学教授の東四柳祥子さんだ。「海外ではあまり見かけなかった、子どもと一緒に出かけて外食をする文化を日本のデパートが育んだ」と説明する。

そもそも子ども向けメニューはいつごろ生まれたのだろうか。東四柳さんは「正確に特定するのは難しいが、昭和に入ってから一般化したとみられる」と話す。

当時の時事新報の連載記事をもとに29年に出版されたガイド本「東京名物食べある記」には、松坂屋の銀座店で出していた「子供ランチ」や「御子様ずし」などのメニューが載っている。

【所感】おとながお子様ランチを頼んでも断られてしまうことを身をもって知ったことがある私です(笑)。
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