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孟達は諸葛亮に期待されていなかった? [三国志]

諸葛亮の第一次北伐は色々と「IF」で考えて「ああすれば成功していたかもしれなかったのに」と
思われる仮定が存在する。その一つが「孟達の裏切りをもっとうまく活用できていれば…」というIF。
蜀に接する魏の領土である上庸。この地の太守だった孟達を領土ごと取り込めば蜀にとって有益だと
思えるが、それはかなわなかった。そして何故か孟達が蜀への内応を持ちかけられたときも諸葛亮から
それを意図する発言が無かった。何故?
私的な見解だが太守である孟達が蜀への裏切りを決断してもその配下が応じないという計算が諸葛亮には有ったのではないか。
諸葛亮が益州南部の平定を終えた頃「孟達が今でも諸葛亮を慕っている」とう情報を得て諸葛亮は
「孟達に手紙を書こう」と発言しているがこれだけをもって諸葛亮が孟達を信任しているとは言い難い。
さらに費詩の「孟達は裏切りを繰り返している男。そのような男に手紙を書く価値は無い。」と言われて黙ってしまっている。
正史三国志において諸葛亮が孟達を評価している場面は孟達への手紙が紹介される場面のみ。
それも社交辞令的なものと考えるのは邪推か。そして蜀は何故か上庸という土地への興味やこだわりが無いように感じられる。この地を奪っても守るのが困難だと判断していたのではないか。
結論として、諸葛亮は孟達を挙兵させて反乱して魏をかき回してくれたら儲けもの程度の期待しか
寄せていなかったと推測する。
孟達の死を惜しんだ諸葛亮という描写は全くない。
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