「白眉」の本当の実力 [三国志]
三国志の時代の人物に蜀に馬良という人物がいました。この馬良は「泣いて馬謖を斬る」の馬謖の実兄です。
彼等は五人兄弟で五人とも優秀な人物だったようですが、その中でも際立って優秀な人物が馬良で、
彼に「眉が白い」という特徴があったことから、とりたてて優秀な人や物のことを「白眉」と言うようにな
りました。
でも、本当の所彼はそんなに優秀だったのでしょうか?史書の記述だけで判断するとなると、
呉という国に使いし、彼の弁舌が呉の主君に誉められたこと、蜀の法律を作ったメンバーの一員である
ことくらいしか事績はありません。逆に主君の劉備の補佐的な立場だった呉という国との戦争では
勝利に導けず、それどころか戦死してしまっています。
私は馬良が「白眉」と持ち上げられているのは、この馬良が諸葛亮を「尊兄」と呼んで義兄弟のような
関係にあった故だと思っています。つまり諸葛亮を賞賛する気持ちから、諸葛亮と義兄弟のような
近い関係にあった馬良も諸葛亮の「付属」というような位置づけで賞賛されたのだと。
彼等は五人兄弟で五人とも優秀な人物だったようですが、その中でも際立って優秀な人物が馬良で、
彼に「眉が白い」という特徴があったことから、とりたてて優秀な人や物のことを「白眉」と言うようにな
りました。
でも、本当の所彼はそんなに優秀だったのでしょうか?史書の記述だけで判断するとなると、
呉という国に使いし、彼の弁舌が呉の主君に誉められたこと、蜀の法律を作ったメンバーの一員である
ことくらいしか事績はありません。逆に主君の劉備の補佐的な立場だった呉という国との戦争では
勝利に導けず、それどころか戦死してしまっています。
私は馬良が「白眉」と持ち上げられているのは、この馬良が諸葛亮を「尊兄」と呼んで義兄弟のような
関係にあった故だと思っています。つまり諸葛亮を賞賛する気持ちから、諸葛亮と義兄弟のような
近い関係にあった馬良も諸葛亮の「付属」というような位置づけで賞賛されたのだと。
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