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習禎・・・三国志演義に登場しない蜀の名臣 [三国志]

蜀漢に仕えた。字は文祥。荊州襄陽郡の人。
『三国志』蜀書・楊戯伝が引く『襄陽記』によると習禎は洒脱な人物で、談論に巧みであり、龐統に次ぎ馬良より上の名声を持っていたとある。
「少なくとも馬良より上」ということになるが、演義で彼が登場しないのは何故だろう?
私は彼を登場させると勢い、馬良がかすんで、さらには馬謖の能力も格下げされてしまい、
後年の諸葛亮の馬謖重用に不具合が生じるからだと思っている。
如何せん、「白眉」の故事まである馬良と目立った事績の残らない習禎ではインパクトの差が
各段に有る。どちらを優先するかは自明の理だろう。
211年、荊州より劉備に付き従って益州に入り、雒県・郫県の県令を経て広漢太守に昇進した。他に詳しい事績は伝わっていないため、伝は立てられていない。
『季漢輔臣賛』には、善良で広く志を伸ばし、荊州の地の優れた人物だったと評されている。
なお『襄陽耆旧記』(『襄陽記』)や『漢晋春秋』の著者である東晋の習鑿歯は、この習禎の子孫である。
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